分水ロータリークラブの活動報告
2014-2015年度11/18週報.公式訪問
2014/12/18
2014年11月18日(火) 第1980回
~佐々木ガバナー公式訪問~
☆会長挨拶☆
今日は、分水ロータリークラブ最大のイベントである公式訪問でございます。第2560地区のガバナー・小千谷ロータリークラブの佐々木昌敏様、第四分区ガバナー補佐の三条ロータリークラブ菊池渉様、小千谷ロータリークラブ今年度会長の関暁様、ようこそ分水ロータリークラブにおいでくださいました。誠にありがとうございます。地区大会の時には大変お世話になりました。記念講演で水谷修先生の「夜回り先生~命の授業」は近年になく、感動する素晴らしいものでした。
先ほどの、佐々木ガバナーと菊池ガバナー補佐との懇談会では、色々とご指導いただきました。当初、ガバナー公式訪問は10月14日でしたが、色々行事が重なったため日程を変更しました。日程を調整していただき感謝申し上げます。
ガバナー公式訪問は、7月16日に前年度ガバナーの御膝元である中条ロータリークラブを皮切りに、県内56クラブ中、今日の当クラブで51クラブ目。残り5クラブのようです。ラストスパート、どうぞ体調に気を付け、公式訪問が無事に終わりますことを祈念いたします。
☆ニコニコボックス☆
・佐々木昌敏ガバナー…分水RCにお伺いできて喜んでいます。よろしくお願いいたします。
・菊池渉ガバナー補佐…第四分区11クラブ、最後の公式訪問です。これで終わりです!今日はお世話になります。
・小川会長、中島幹事…佐々木ガバナー、菊池ガバナー補佐、本日はご指導宜しくお願いします。
・杉田和夫君…佐々木ガバナー、ようこそ分水ロータリークラブへ。40周年記念式典では、大変お世話になりました。今日はよろしくお願いします。
・中野忠浩君…佐々木ガバナー、菊池AG、関会長、ようこそ分水ロータリークラブへ。
・川﨑吉明君…佐々木ガバナー、菊池ガバナー補佐、ご指導よろしくお願いいたします。
・山崎儀信君…佐々木ガバナー、ようこそ分水RCへ。よろしくご指導お願いいたします。
・石田順次君…佐々木ガバナー、本日は宜しくお願いします。
・仲村厚子さん…佐々木ガバナー、ようこそ分水へ!ありがとうございます。青少年交換会では、娘が大変お世話になりました。主人もよろ しくとのことでした。
☆佐々木ガバナー卓話
皆さん、こんにちは。分水というと、おいらん道中を思い出します。懇談会では、社会奉仕としておいらん道中に何かできることはないかと話をしました。皆さんの知恵を絞っていただき、いい活動wしていただきたいと思います。
自己紹介も兼ねて、ロータリーとの関わりについてお話しします。私は、太平洋戦争開戦の年に生まれました。祖父は米屋で、それなりの生活をしていました。父は醤油の製造業で財を成し、母は新潟県初代県議会議長を生んだ裕福な家庭でした。私は長男でしたが、小さい頃は気管支炎を患い、なかなか学校に通う事ができませんでした。 その頃はよく祖父から「お前は我が家の三代目だ。家が繁栄するのも衰退するのも三代目次第。人前ではニコニコしていろ。困っているところを人様に見せてはいけない。財布の紐と腹の底は、人に見せるものじゃない」と教育されました。高校3年の時、他の人は進路が決まっている中で、私は決まっていませんでした。田んぼを売り、醤油の製造しか残っていなかった稼業を継ぐには、まず大学へ行こう。進学については家族で揉めましたが、大学へ進学しました。卒業後は、「3年ほど銀行へ行く」と言って銀行に就職しましたが、3年がいつの間にか37年になってしまいました。その銀行時代ですが、初めて支店長になったのが湯沢支店の時でした。ちょうどバブルの頃になります。その頃の金融機関というと「お客様のために何ができるか」がテーマで、他行と競うように地域貢献に努めていました。バブルの時ですから、資金が資金を呼び、資金バブルになりました。しかし所詮バブルですから、それは泡となり消えて、不良債権の山を見て呆然としました。これからどうしようかと考えていたところ、「三条支店に行け」と言われまして、三条に移りました。
三条市は人口8万人のうち1万人が社長だと言われる街です。右も左も社長で、話を始めれば商売の話になるくらいでした。そんな街では、教わることが多くありました。当時、コメリの会長の捧さんが会長をしていた三条ロータリークラブに入会した時は、箸の持ち方とか、口の中にモノを入れて喋るな、だとか。仕事も面白いし、ロータリーも面白い。そんな時期でした。
私は2年前にガバナーノミニーに就任し、昨年はエレクト、そして今年ガバナーとなりました。ノミニーに就任した際、軽い脳梗塞を患い、ガバナーを受ける事を心配していたのですが、お医者さんに相談し、生活習慣を改善していけば大丈夫だと言われ、これからは1日1万歩、歩くことにしました。40代50代の頃より、体が軽くなったような気がします。このまま30年後の100歳までロータリーを続け、また小千谷で地区大会ができるようにしたいと思っています。
☆クラブ協議会☆
※特に指導があった会員増強について
よくお分かりかと思いますが、今、ロータリークラブは世界120万を超える会員がいます。日本では13万人をピークに8万3千人まで減少しましたが、去年底を打ち、現在は上昇傾向で9万人に届こうとしています。だから、決して減少傾向にあるわけではありませんので、心配せず、堂々と勧誘をしてほしいと思います。
この第2560地区では、7月1日から現在まで101人が入会しています。退会された方もいるので、82人の純増です。来月、各分区のガバナー補佐に集まってもらい、ネジを締めるつもりです。これから増強していく上で、増強リストは是非作ってもらいたいです。内容として10名では少ないので、だいたい30名ほどのリストを作ってみてください。
では、「増強は誰がするのか?」割合としては、会長が6、幹事が3、増強委員長が1だと言っています。会長幹事がその気にならないといけません。次に、「どういう人に声を掛けるのか?」まずは、退会した人に声を掛けることです。というのも、「ロータリークラブとはこういうものですよ」と説明しなくても分かるからです。きっと退会された人には、晩酌をする時に「ロータリーではこうだったな」と、入会していた頃の姿が目に映るものです。そういう人には「また入ってもらえませんか?それが私たちの願いです」と言葉を掛けると良いです。直江津クラブは4人再入会しています。小千谷クラブや高田クラブにも再入会の人がいます。
「リストはどうやって作るのか?」リストの作成は、会長幹事中心でやってほしいと思います。辞めた人だけでなく、亡くなった人の跡目の人も声を掛けてみてください。商工会の青年部や女性部、婦人部にも目を付けると良いですね。
今、情勢が変わっています。お金を持っている人は、お金を持っていないフリをしています。そういう人にも、正面から誘ってください。誘い方としては、飲み会のついでとかではなく、複数人でリームを作って、「こういう決意をして、あなたを誘っているんだ」と伝えること。また、社会奉仕活動を通して入会してもらうようにすること。柏崎東クラブは、古い靴を集めてバングラデシュに送っているようです。柏崎では原発の関連でだいぶ退会したようですが、第5分区のIMが終わってから、あっという間に7人入り、あと2人内定しているとのことです。また、例会にあまり出席していない会員への声掛けは、1人ではなく複数人で行ってほしいと思います。 以上
クラブとしての大きなイベントである公式訪問が終了し、ホッとしています。☆
~終~
各クラブの活動報告
2014-2015年度11/11週報
2014/12/17
☆会長挨拶
11月も半ばに差し掛かり、忘年会が始まる頃になりました。何かとお酒を飲む機会が増え、寒さも暮れにかけて増してきます。体調管理にはくれぐれも気を付けていただきたいと思います。
先週、今年度の現況報告書を配布したところ、一部出席率に間違いがあり、出席委員長から訂正の発表をしていただきましたが、例会終了後、年配の会員数人から自分の出席率も間違えているのではないかという申し出があったようです。「ロータリー在籍年数と年齢を足して85以上になると、出席規定の免除になるのではないか」というものですが、分水ロータリークラブの定款の中で、第9条“出席”の第3節“出席の免除”で次のような場合、出席規定の適用は免除されるものとするとあります。
(a)理事会の承認する条件と事情による欠席の場合。
理事会は、正当かつ十分な理由による会員の欠席を認める権限を持つ。このような出席規定の適用の免除は、最長12ヶ月までとする。
(b)年齢が65歳以上の会員で、かつ、1つまたは複数のロータリークラブのロータリー歴と会員の年齢の合計が85年以上であり、さらに出席規定のてきようを免除されたい希望を書面をもってクラブ幹事に通告し、理事会が承認した場合。
ロータリー在籍年数と年齢を足して85以上になっても、出席規定の適用を免除されたい希望を書面で提出し、理事会で受理しないと適用になりません。今年度、すでに出席規定の免除に該当する方でまだ書面を提出していない方は、提出をお願いします。
来週は年度最大のイベントであるガバナー公式訪問です。当日午後2時~3時まで、会長・副会長・幹事・副幹事・ガバナー・ガバナー補佐・小千谷RC会長と懇談会を行い、3時~4時まで例会、集合写真を撮って、4時20分から1時間クラブ協議会を行い、そのまま懇親会へ移動します。12時に間違えて例会場に行かないようにお願いします。
☆スマイルボックス
・田中 真 君…この度、次男坊の就職が決まり、やっとだっくらしました。
・添田忠夫 君…67回目の誕生日に誕生祝を頂き、ありがとうございました。
☆卓話:ロータリー講座
「明治時代の地蔵堂と大河津分水」 卓話:氏田 公基 君
明治時代に大庄屋だった富取家の没落は、明治10年頃だろうといわれています。没落した理由は、贅沢をしたのか何なのか分かっていませんが、道楽をしたんだろうと思います。最後の家人が はじめ さんで「私の代で没落したので、家の墓には入れない。他の墓に入る」と言っていたらしいです。
明治13年:蒸気船「安全丸」が運行を開始し、今まで寄港しなかった大河津にも寄港するようになりました。寄港地は小須戸、加茂新田、三条、大河津、与板で、大河津にも寄港することで、物流が特にこちらのほうにも陸揚げさせるようになり、それが商業の繁栄につながったようです。
明治26年:北越銀行の前身である地蔵堂銀行が株式会社地蔵堂銀行となります。それまでは、両替商や質屋などで銀行業を行っていたんだと思います。
明治30年頃:渡部に石油会社が設立され、採掘や精製が行われるようになりました。新潟県では、三島郡や刈羽、柏崎、見附などでは油田がとれたので、渡部にも造られたようです。
大正元年:越後鉄道が開通しましたが、地蔵堂駅の問題がありました。その当時、大河津分水の掘削工事が始まっていて、鉄橋の高さが急すぎて止まれないと猛反対を受け、掘削土を盛り土しようということになり、それによって高さも緩和されたようですが、当初は相当揉めたようです。
大河津分水の工事について:享保年間、分水計画を幕府に願い出ましたが、財政難で却下されます。しかし、10年間で30回も洪水が起き、明治初期に工事が始まりますが、数年で中止。その後、横田切れという大洪水が起きた時は、水害での死者が数名だったのに対し、新潟市のほうまで水が行ったことでその後4ヶ月、水が引かず、赤痢や伝染病が発生し、それで大勢亡くなったといいます。これが、大河津分水の工事再開の契機となりました。
第2期の工事は、明治42年~大正11年に行われ、13年で通水しました。できるまでには、右岸側で何度も地すべりが起き、掘っては滑り、掘っては滑りで「化けもん丁場」と呼ばれました。この時の人夫賃は、男が50銭、女が35銭だったそうで、当時は上げ下げが激しかったんですが、米価でいうと50銭は約2,200円ほど、今でいうと1万円くらいじゃないかと思います。月給制ではなく日払い制で、17時くらいになると列を作って並んでいたようです。皆さんも日銭が入れば飲みに行ったりすると思いますが、この時は寺泊や地蔵堂の飲み屋が繁盛したようです。
昭和2年6月には、自在堰の陥没事故が起き、これがきっかけで可動堰に改修する工事が行われました。工事に携わったのは、当時の大河津出張所長の宮本武乃輔と、今でいう北陸地方整備局の青山士という人です。青山士はクリスチャンらしく、大河津分水の記念碑にはエスペラント語で「万象に天意を覚るものは幸いなり。人類の為め、国の為め」と書かれています。
新可動堰が平成23年11月に竣工するまで、旧可動堰は80年が経過していました。
~終~
各クラブの活動報告
2014-2015年度11/4週報
2014/11/17
☆会長挨拶☆
最近、日中、稲刈りが終わった田んぼに、白鳥が飛来してエサを探す姿をよく見かけるようになり、台風19号以後めっきりと朝晩の寒さが増してきたように思います。皆様も体調に気を付け、風邪を引かないようにお願いします。
10月31日に大型の台風20号が発生し、今週末くらいに日本に影響が出てくるようです。気象庁で公開されている台風発生数や接近数、上陸数を1981~2010年の30年間の平均値を見ると、10月は台風発生数が3.6、接近数1.5、上陸数0.2となっており、11月は台風発生数2.3、接近数0.6、上陸数はゼロなので、今回の台風20号もそれほど心配することはないかと思います。
さて、早いもので、会長就任から三分の一が過ぎました。地区の事業も順調にこなし、再来週開催される最大の関門であるガバナー公式訪問をうまく乗り切り、燕市内3クラブ合同例会、クリスマス家族大会が終われば、「あとは惰性でいける」とよく会長経験者から言われますが、半信半疑です。
今回の公式訪問は15時例会開始ですので、間違えないようにお願いします。また、公式訪問から3日後の21日に行われる燕市内3クラブ合同例会のほうにも、多数の出席をよろしくお願いします。
★スマイルBOX★
・中島敬二君…本日の卓話、関所長様よろしくお願いします。
・中野忠浩君…東洋計器の関様、ようこそ分水ロータリーへ。
会員増強委員の皆様、11月1日の丸金丸さんでの会議に参加していただき、ありがとうございました。
◇財団ボックスデー 計31,000円◇スマイルBOX 計2,000円◇
□外部卓話□
東洋計器株式会社 関 哲也 様
「太陽光発電について」
・屋根の形状は切妻屋根が1番パネルを載せやすい。
屋根の大きさは、大きいほうがその分大きいパネルを載せられるので、多く売電できる。
・屋根の向きは、南向きが1番ベスト。都会の北側は、南側の半分以下に効率が下がる。
普通の家には南側にリビングがあり、北側にパネルがあると眩しいとクレームがくることがある。
・(例)長野県の事例 3.04kWの設備をつけた家
太陽光発電設置前の電気代 16,592円/月 → 設置後 電気代10,806円/月、中部電力へ売電 5,915円
⇒4,891円のお得。年間14万円ほど安価に。
・国の制度では補助金制度がないので注意。
・パワーコンディショナが1番の消耗品で、12~13年で寿命が来ると考えたほうが良い。
シャープの総合補償制度では、15年補償がスタンダード。
前は10年補償が多かったが、パワーコンディショナの寿命を考え、15年のほうが安心。
・太陽光の発電量は、3.84kWのシステムで約3,840kWhが目安。
4人家族の場合、年間5,400kWh電力を使うと考えても、半分以上は賄える計算。
・季節によって発電量は異なる。1番多いと思われる7月や8月は、パネルが熱くなりすぎて効力が悪くなる。
4月や5月が発電には1番良い。
・売電価格は1kWあたりだいたい37円で、10年間は固定価格で買い取りが保障される。
・停電時にも電気が使える。1500Wまで発電が可能。
携帯の充電器、テレビ、冷蔵庫等は可能だが、IHヒーターやエアコン、オーブンレンジか不可。
・太陽光発電の相談などあれば是非!
各クラブの活動報告
20140812週報
2014/08/26
☆会長挨拶☆
明日はお盆の13日です。皆様も手を合わせてお参りすると思います。
台風11号の影響で、9日開幕の全国高校野球選手権大会の開会式が順延になりましたが、54年ぶりだそうで、2日連続の順延は初だそうです。新潟県代表、日本文理vs大分戦が10日開催予定でしたが、皆様も結果が気になり仕事が手に付かないのではないかと思います。
さて、その甲子園球場は今年で90周年を迎えるそうです。年代物の建物につきものといえば「怪談話」です。第14代の球場長、川口永吉氏は自身の回想録の中で、こんなエピソードを紹介しています。「『コツ、コツ、コツ…』と、深夜になると暗闇のグラウンドからこんな不気味な音が響くことがしばしばあり、さらに付近の住民から「毎晩、夜遅く球場前を通るのですが、正面から一塁側よりの所に白いお化けが、いつも球場にしがみつくような恰好でいます。怖くて、夜通るとき背筋が寒くなります」という投書が届き、泊まり込みの当直者たちが恐れおののきました。とはいえ、投書のお化けの正体は、街灯を反射したツタだと判明しましたが、謎の音が何に由来するのかは分からずじまいで、何やらバットを折るような音にも聞こえてくるという。その結果、一同が出した結論は、『甲子園で武運つたなく敗退した球児たちが、夢よもう一度と、夜になると球場へ来て練習しているのではないか』」。ただ川口氏は、「長い夜をもてあました宿直員が冗談交じりで言い始めたことがウワサにウワサを呼んで怪談話になったに違いない」と書いています。甲子園にまつわる話はまだまだありますが、今日はここまで。
★幹事報告★
・佐々木ガバナー事務所より ガバナー月信8月号
夏季休業のお知らせ
・米山梅吉記念館より 秋季例祭のご案内、賛助会員のお願い、館報送付
・ロータリー文庫運営委員会 資料目録送付
・三条北RCより 9月例会のご案内
・地蔵堂剣士会より 中山博道旗争奪剣道大会のご案内
・燕市社会福祉協議会より 特別会員加入のお願い
《 スマイルBOX 》
・小川政美君・・・吉田様、卓話よろしくお願いします。
・中島敬二君・・・吉田様、本日はありがとうございます。講話よろしくお願いいたします
・杉田和夫君・・・(株)ヨシダの吉田相談役様、お忙しい中ようこそ分水ロータリーへ。今日は卓話よろしくお願い致します。
・田中真君・・・吉田さんのお話楽しみです。
・川﨑吉明君・・・当社会長の吉田様、本日はお忙しいなか卓話を引き受けて頂き、誠にありがとうございました。また、自伝の書籍を提供いただき本当にありがとうございます。よろしくお願いいたします。
・山崎儀信君・・・吉田様の分水RCへの訪問を祝して。また明日よりお盆休みに入ります
・添田忠夫君・・・吉田さん、分水RCへようこそお越し下さいました。今日のお話し楽しみにしています。
・仲村厚子さん・・・先日の8月5日、娘が無事ドイツへ交換留学生として出発しました。前日は佐々木ガバナーはじめ委員方から歓送会を開いて頂きました。ありがとうございました。
本日のスマイルBOX 計 8,000円
本日の米山BOX 計31,000円
■ 外部卓話 ■ 吉田 仁志 様
| ・「人を立てれば蔵が建つ」。人を立てて、自分が大きな支えになれば良い。・会社というものは「5年経ったら定期預金より1%でも多く配当できるから、株式会社なんだ」。多くの方からお金を集め、投資してもらうので、多く配当できるように努力していた。 ・7歳で母を亡くし、町田さんのところへ預けられた。そこではたくさんのことを教わった。当時は右も左も分からなかったが、「男としての生き方は3つある。右はサラリーマンや警察官などの安定した道。左は建築や大工などの技術者。真ん中は商人での道」だという。私は祖母の教え通り商人の道を選んだ。 ・「忙しい」は言ってはいけない。「忙」という字は「身を亡ぼす」と書く。 「銭がない」も同じ。お金は、ある所にしか集まらない。「お金がない」と言っても、「じゃあ、あげよう」ということにはならず、意味がない言葉。 ・良き出会いは大事にさせてもらう。これから、その出会いをどうするか、どう取るかが人生を変える。 ・「右に株式、左に不動産」。「魚を獲りに行って、たくさん獲りすぎてしまうと船ごと沈んでしまう。もし利益が出たのなら、株式や不動産を買ってしまうものだ」という町田さんからの教え。 |
各クラブの活動報告


